山里のまど

2019年4月より次女が親元離れて徳島の山奥で山村留学をしています。山村留学のことや山の暮らしについて書いてゆきます。

和無田八幡神社お祭り

11月1日(金)

この日は3連休で一度帰省するつむちゃん(+一緒に明石に遊びにくるこいちゃん)を迎えに木頭に来たのですが、ちょうど和無田八幡神社のお祭りがあるというのでそれも見せてもらいました。

学校の真横にある、杉の大木が対になっている神社です。

木頭の中心集落である和無田・出原地区を見降ろす高台にあって、山村留学の見学で初めて学校を見に来た時にも強く印象に残っているので、自分の中では木頭のシンボルのような存在だと思っています。


人口約1000人の旧木頭村内でも5つの集落でそれぞれのお祭りが行われているそうで、人が減ってもまだそんな小さな単位で行われているということからも、農山村で祭事が大切にされていることを教えられます。

とは言え、以前はこの和無田地区と隣り合う出原地区は別々に祭りを行っていたのが今は併せて行われているし、聞けば今回行われた太刀踊りも元々は廃村になった中内地区で行われていた神事だったということで、人が減ってゆく中で集落の行事も形を変えていかざるを得ないのだとも思い知らされます。


和無田・出原は木頭の中心地にあたる地区ですが、思ったよりひっそりした地元の神事という雰囲気。
お祭りと言えば屋台ですがここではたこ焼き屋が一台だけでした。

沢山の人が帰省するお盆の夏祭りは花火も上がって賑やかだと聞いているので、いわゆる村祭りのイメージに近いのはそっちなのかもしれません。

 

少し特別なのは、今回は一度途絶えていた中学生の太刀踊りが復活ということで、中学生全校生徒8人が刀を持って踊りを奉納する姿を見せてくれました。

この地区の小学生は女子は巫女、男子は神輿の太鼓の役割があって、この日は学校の授業は午前中だけ。

他の地区の子どもや学校の先生もそれを見に集まっていて、その分賑やかだったのかもしれませんが、それでも粛々と行われる神事を皆で見守るという厳かな雰囲気が全体的にありました。

こういう、地域の内で行われているような小さなお祭りに立ち会える機会も、山村留学という縁があったからこそで、貴重な体験ができて良かったと思います。

 

お祭りは夕方までに終わって、子どもたちはいつもの下校バスで帰宅。

帰ってから準備して、つむちゃんとこいちゃんを乗せて明石に帰ります。

こいちゃんはこの日をすごく楽しみにしていたようです。

すっかり暗くなった18時頃に木頭を出て、明石に着いたのは22時半でした

 

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美杉峠を越えて

11月1日(金)

木頭に来るのは何回目か?と尋ねられて「うーん、10回以上?」と答えたのですが、数えてみたら19回目でした、うわっ!

月に2回以上来てますからねえ。

 

木頭までのルートもいろいろ。

いつもは徳島側から国道195号で、高知側土佐山田からも時々、それ以外は神山町から土須峠を越えたり、逆に南の海部町から霧越峠越えて入ったり、ああ、そもそも最初は安芸市の伊尾木川から北川に抜ける千本谷林道を自転車で越えて木頭に入った時に小ぢんまりとした山里の雰囲気に惚れたのだったし、祖谷から歩いて山越えて来たこともありました。

地図見て気付いたのですが、「那賀町に入る道」って険しい山に囲まれているだけに案外数えるほどしかなくて、今やそのほとんどを制覇していたのでした。

今回は那賀町の東北側にある上勝町から行こう、となってそこから那賀町に入るには3つルート。

うち八重地トンネルから木沢に入る道もスーパー林道で土須峠に抜ける道も行ったことあったので、それじゃ今回は行っていない道を通っていこうと上勝の月ケ谷温泉から美杉峠を越えて相生のもみじ川に下りるルートをとってみました。

 

まあ、気分転換な訳ですが、ちょっと理由もあって11月はみかんの季節のはじまり。

徳島でみかんの産地と言えば勝浦町ということで、うちにはみかん大好物のつむちゃんの姉ちゃんがいるので、道の駅に立ち寄って大量購入。

そのまま勝浦川をさかのぼって上勝町から那賀町に入ろうという流れになったのです。

 

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上勝にも何度か来ていますが、深く刻まれた渓谷の地形では川沿いに土地が少なくて、山の斜面に家々がまばらに見えるのはこれまで四国の山中あちこちで見てきた光景です。

ただ、ここでは山の高いところにある傾斜地集落でも水田をつくっているところが多く、山の斜面の等高線を描くように不規則な形の棚田が並ぶ光景は思わず見とれてしまうほど圧巻です。

同じくらいの標高と地形でも祖谷の方では水田はほぼ見られなかった訳で、土地によって山村の暮らしも違ってくるのだと知ってまた興味をひかれます。

ここでは少なくとも江戸時代の初め頃から棚田が拓かれていたそうで、上流から水路を引いてきた地区もあるとのことなので、実に多大な労力であったと思いますが、それほど稲作は安定した主食源として魅力があったのでしょう。

そういえば峠を越えた木沢の側でも山の上の集落で水田が見られて珍しいなと思っていたのですが、それも山間部では尾根づたいに交流があったという証なのかも知れません。

今回立ち寄った樫原の棚田は以前にも訪れたことがあったのですが、以前来た時は「見事な景色だな」と思いつつもその本当の凄さまで気付いてなかったのだなと思います。

今回四国の山里をあちこちと訪ね回っている中で改めて見てみると、この光景をつくりあげるまでの不断の努力と熱意があったことを思い巡らせます。

 

樫原集落でも一番の高所の辺りで柚子の収穫をしていたおばあさんがいたので話を聞くと、この辺りのゆずは形が悪くて加工用にならないけど、木頭の柚子は別格で、高い値段で丸のまま売れるから羨ましいということ。

そういえば木頭では柚子の方が高く売れるから稲作をやめて田んぼを全部柚子畑にしたと聞きました。

木頭柚子、すごいんだな、と思うと同時に特産品があるということの強みのようなことも思い知りました。

 

棚田を堪能した後に美杉峠を越えて馴染みの那賀町へ。

まあ、それなりの峠道ですが標高691mというのが最近だと軽く感じてしまうのです。

例えば八重地から木沢の峠は1000m近くまで上るので、それに比べると細く曲がりくねった道を進む時間が短くて楽だなあと。

いや、舗装が少々痛んでいるところがあったり小石や木の枝が落ちてたりするので、一般的な感覚で言うと全然走りやすくないんでしょうが、まあ舗装はされてるし離合できる場所もほどほどにあるし・・・。

うーん、これを「楽だ」と書いてはアカンのでしょうかね?

とりあえず四国の国道県道でない峠道という条件の中では整ってる方なのではないかと思いますよ。

 

上勝側は杉林の中の細い渓流沿いの景色が雰囲気良く、峠の手前の上勝から北側の眺望もなかなかです。

峠下りて那賀町相生側は、上勝と違って川沿いに平地があった集落がひらけているのでちょっと違う景色。

緻密な石積みがなされた田んぼは一枚一枚の広さがあって、民家の造りもなかなか貫禄あり、ある程度の平地が得られることの豊かさに気付かされます。

紅葉川という名の通り紅葉が美しい場所らしいので時間がとれたら11月後半くらいに来てみたいところ。

 

と、なかなか走りごたえのある峠道です。

とはいえ、上勝と那賀側上流域の間の移動需要なんてそうそうないんでしょうなあ。

峠越えでの対向車は1台だけでした。

検索したら自転車で越えている人のブログがよく出てきましたが、麓から峠までの標高差500m、ほどほどに上りごたえあるのでしょうか。

舗装されているのでロードバイクでも行けそうですが、舗装が痛んで陥没しているところあり、小石や小枝が落ちているのは当たり前なので、下りでぶっ飛ばすのは危険かもしれません。

 

とりあえず上勝と上那賀方面を結ぶルートでは最短でしょう。

八重地より峠の標高が低いので冬場でも通りやすいかと思います。

まあ、個人的には山深い地の怪しさを求めてしまうので次は八重地かスーパー林道かな。

 

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いやしの里 増川笑楽耕

9月21日~23日 


9月の連休につむちゃんたちと泊まった宿は東みよし町旧三好町増川の「増川笑楽耕(ますかわしょうがっこう)」

廃校になった旧増川小学校の敷地を利用した宿泊施設です。

 

山村留学を検討し始めた頃から、いわゆる過疎地の現状に目を向けるようになった中で、特に気になったのが学校がものすごい勢いで減っていること。

高度成長期の頃は集落ごとにあった学校が統廃合されて今では町村単位で一つだけなんてことも珍しくありません。

つむちゃんの山村留学も、元々は北川小学校で行っていたものが、3年前にその北川小学校が休校となったため、現在旧木頭村全域でも一校だけ。

10キロ以上離れた木頭小学校にバスで通うようになっています。

2005年に5町村が合併してできた現在の那賀町に当時9校あった小学校が今では4校。

街で暮らしていると見えてこない部分ですが、過疎地では深刻さを感じるくらい急速に子どもが減っているのです。

 

山村留学で木頭と関わるようになって同時に知ったのは、そんな集落の学校というのは地域で本当に大切にされていたということ。

そもそも北川小学校の山村留学が始まったのもこの小学校を存続させたいという地域の人たちの熱意からだったと聞いています。

北川小学校が休校となった今でも春のお花見や秋の運動会を小学校の敷地で行っているとことからも、学校を中心とした地域の結びつきのがいかに大事だったかを思い知らされます。

 

それぞれ地域の人たちの想いが籠った学校だから、廃校となってもその跡地を何らかの形で活用したいという動きは各地であるようで、四国でも廃校を宿泊施設や研修施設として利用しているところ各地に色々とあります。

せっかくだから今回の集まりもそういう場所に行ってみたい、ということで探してきたのがここ「増川笑楽耕」。

 

この増川集落は三好市の市役所のある阿波池田の町からも10キロくらいの場所。

木頭のようなアクセスのしづらさはないのですが、旧三好町の中心地から細く曲がりくねった山道を10分くらい走った後の山中に家々が点在しているという環境で、元々の人口が少なかった上に若い世代が出ていったために20年前に休校、今は小中学生の世代の子どもは1人もいないそうです。

過疎の一番の要因は「仕事がないこと」だと思っていましたが、この増川は三好市美馬市というこの地域の市街地に十分通える位置にありながら、やっぱり若い世代はいなくなってしまうということにちょっとショックを受けました。

「街が近いと気軽に帰れるからむしろ安心して地元を離れてしまう」というのはよそで聞いた話ですが、ここでもそうして働き盛りの世代が離れてしまっているのかもしれません。

故郷のことは気になるけれど山の生活は不便、生活の拠点は街に移して折々空き家や畑の手入れに戻る、という形をとりやすいということのようです。

自分たち街の人間から見れば、慣れ親しんだ土地で自然に近い暮らしができて仕事は街に通勤することができるなら、それは恵まれた環境だと思ってしまうのですが、そうはなっていないのを見ると複雑な思いです。

 

「増川笑楽耕」管理人さんに聞くと、以前は100世帯くらいあったのが現在は20世帯弱。

子ども世代は1人もおらず、ここでは若手に見える管理人さんは30代くらい?彼の同世代も「ほとんどいない」そう。

 管理人さんの家には商店の看板がかかっていますが、人が減ったのでもう店はやめてしまったということで、この集落の商店は他に無く買い物は麓の街に行くしかありません。

そんな条件に加えて、人が減るということは集落の諸々を維持することに対する一人一人の負担も大きくなってくるでしょうから、目に見えない困難も多いのかもしれません。

過疎の問題は仕事の有無や街からの距離だけではないのだと知り、また色々と考えさせられました。

 

さて、この「増川笑楽耕」ですが、窓口団体が「増川の活性化を考える会」ということからも、地域の人たちがこの学校であった場所を大切にしていることが伝わってきます。

今時なかなか見られない趣のある木造校舎。

こちらでそば打ちやこんにゃくづくりなどの体験メニューが行われているそう。

学校の校舎がそのまま宿泊施設になっているところもよそではあるのですが、ここは校庭に建てられた3棟のコテージがあって、各定員4名。

2棟借りたのですが、どちらも綺麗に管理されていて居心地良いです。

部屋が6畳で布団4組使えて、キッチンには一口の電気調理器、冷蔵庫、炊飯器に鍋やフライパン、食器もあらかた完備。

ユニットバスの風呂トイレも建物ごとにあります。

これで1泊1万円なので4人で使えば格安です。

同じく校庭に設置された屋根付きの炊事場でバーベキューができて、こちらは使用料500円。

2日目の夜は雨だったのでこの「屋根付き」に非常に助けられました。

今回は使わなかったけれど、校庭の端には五右衛門風呂、さらに炭窯があって炭焼き体験もできるというので面白そう。

木頭みたいに山の達人がいるのだろうと想像してしまいます。

 目の前の増川谷川は細い小川なのですが、ちょっとした水遊びができるようせき止めてあって、6月くらいにはホタルが沢山見られるそうです。

 

 徳島道の井川池田インターから車で15分くらい、祖谷や琴平にも近くて便利な場所ですが情報が少ないようなので(だから直前でも予約できたのかな?)ちょっと紹介してみました。

 

いやしの里 増川笑楽耕

東みよし町東山字増川264‐2

予約・問い合わせ 増川の活性化を考える会(藤本)0883-79-5582

 

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木頭を離れて

父ちゃんです。

2学期入って最初につむちゃんに会いに行った時の話。

9月21~23日の3連休、約1か月ぶりの再会です。

 

父ちゃん学生時代からの友人同士で「キャンプ」に行くということをかれこれ20年以上続けていて、独身者ばかりだったのがいつしか子どもが一人二人と増えてゆき、最大20人を超えるような大所帯の集まりというイヴェントを年に1~2回やっています。

「キャンプ」とカギカッコ付きなのは、最近はほぼテントなど張ることなく屋根も布団も電気もあるような施設でやっているからで、昔の名残というやつです。

つむちゃんは物心つく前から参加していて同学年の女の子もいて、年に数回しか会えない「幼馴染み」が集まるこの会を楽しみにしています。

 

メンバーは関西と中国地方に多く、大体兵庫~広島あたりのエリアでやることが多いのですが、今回はつむちゃん山村留学してるなら、ということで四国となりました。

宿泊地は阿波池田の近くの東みよし町、明石から直だと2時間半で行けるところを、6時に出発して木頭に11時、土佐山田でお昼食べて阿波池田には14時で8時間。

木頭はどこからも遠い、改めて思い知らされます。

 

時間がかかる分、じっくりつむちゃんと話ができる良い機会かな、2学期始まって初めて会うし、とも思ったのですが、話しかけても余り返事がなく車の後部座席でだんまり。

4月に山村留学行ってから初めて会いに行った時は、「こんなに喋るつむちゃん見たことない」と驚くほど饒舌だったのになんだこの変わりようは。 

 

どうやら今回「母ちゃんがいない」ことが不満だったようです。

姉ちゃんが試験前で行けないから母ちゃんも明石に残るということは伝えてあったのですが、納得できないくらい母ちゃん恋しさが募ってきたというのは、2学期に再び親元離れた生活が始まっての色々な気持ちの変化の表れなのかなとも思いました。

1学期は何もかもが初めてで、不安も大きかっただろうけれどそれが楽しさに変わるダイナミズムでちょっとした興奮状態だったのが、2学期は相方のもえちゃんもニュージ

ーランドに帰ってしまって、一人部屋の寮生活。

留学生が一人でも寂しくない!と言ってはいましたが、一人の時間が長いと色々考えることも増えるのでしょう。

普段は学校の友達や結遊館スタッフに囲まれて楽しい日々を過ごしているのでしょうが、1学期の寂しさとはまた違う寂しさを感じているのかなあ。

 

とは言え、テンション低かったのは最初だけで、友達に会えば盛り上がるし旅先のあれこれを楽しんでいたようでした。

乗り物好きのつむちゃんにとっては、大歩危の川下り祖谷温泉のケーブルカーで露天風呂に行くのとかがハイライトだった様子。

ちゅうか、父ちゃんもケーブルカーにおったまげました。

風呂に入るために170mの断崖絶壁下るんて、有名でテレビでも見たことあったけど実際行ってみるとホンマにクレイジーです。

外国人も来ていたけど、「世界中どこにもないもの」を見たくて来たなら間違っていないでしょう。

多少は名の通ったスポットなのでしょうが、それでもはるばる海越えて山越えてここまで来てしまう人は凄いなと思ってしまいます。

 

あと、最終日に行った祖谷の「フォレストアドベンチャー」もスゴいですよ。

つむちゃん怖がりなのに12月に山村留学の見学に来た後でここに来てハマってしまい今回皆で再訪。

宙づりで渓谷越えて叫んできました。

 

3日間、少し違う環境で過ごせて気分転換になったでしょうか?

皆と別れて、再び高知経由で木頭に向かう道中は疲れ果ててずっと寝ていたつむちゃんでした。

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夏の終わり

父ちゃんです。

時間が飛んで夏休みの終わり、8月25日。

相方のもえちゃんがニュージーランドへ帰ってしまったので、つむちゃん一人の山村留学となる2学期に向けて木頭まで送ってきました。

姉ちゃんはテストが近いので留守番、父ちゃん母ちゃんとで車に乗って。

 

いつもの国道195号も飽きたので、今回は神山町から土須峠を越えて木沢に入るルートで。

道を覚えるのが得意なつむちゃんはいつもの道の方が良かったみたいだったけど、まあいいじゃないか。

地図で見ると195号で那賀川沿い行くより近い、ように見える。

実際は離合も厳しい細く曲がりくねった急坂を標高1000mまで駆け上がるので、多少近いのかも知れないけど時間がかかる、そしてしんどい。

ややこしい道行くから母ちゃんつむちゃん不満げ。

そしてやっとのことで峠を越えたと思ったらさらに細い未舗装路に入ってまた上るので、母ちゃんつむちゃんブーイング。

 

まあいいじゃないか。

 

標高1300mのファガスの森で昼食。

夏休みの日曜でも他のお客さんは1組だけ。

犬がキャンプ場の草原を走り回っている以外、景色は止まって見えて森に溶け合うような鳥と虫の声だけが聞こえてきます。

この空気をひとり占めできるのは、ここが四国の奥の奥でつまりは日本の奥の奥の奥だからなのでしょう。

夏休みの最後の日曜日というので高速道路は車が多い印象でしたが、那賀町の奥に入れば絶景を前に静かな時間を過ごせるのです。

ここ「ファガスの森」だったり那賀川源流の「山の家奥槍戸」だったり、土須峠の神山町側の「岳人の森」だったり、この辺り、驚くような山の奥なのに立派な食事ができたり宿泊できる場所があって、涼しく静かに夏を過ごすにはすごくいい場所です。

 

ここに来るまでは不満げだった母ちゃんとつむちゃんもここの空気と名物の鹿肉カレーに満足げ、よかった。

 

木沢を経由して木頭北川へ着いたのはもう夕方の時間。

結遊館での暮らし、親と離れた暮らしがまた始まることにはやっぱり複雑な感情でいるようだったけれど、そこにたまたま同級生のこいちゃん登場。

つむちゃん戻ってきているかとバスに乗って遊びに来てくれたようです。

再会を喜んで二人わいわいやっていたのが別れづらい思いを紛らせてくれました。

このタイミングがちょうどいいのかな、と我々は木頭を後にしたのでした。

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魔女、旅に出る

春休み、山村留学が刻々と近づいてくる毎日。とはいっても休みなのは子どもたちだけで、平日の日中は母ちゃん仕事なので、(在宅勤務なのでその場にはいるのですが)ずっとPCに向かいっぱなしで子どもたちはほったらかしです。つむちゃんはいつもどおり、本を読んだり折り紙したりYouTubeみたり、たまーに外で遊んだり。

そして土日も、客商売(マッサージ屋さん)の父ちゃんは仕事だし、お姉ちゃんも部活があったりして、家族全員が揃う時間はそんなに長くない。

でもせっかくだから何か特別なことを、と、平日に休みをとって家族4人でUSJに出かけハリーポッター大好きなつむちゃん念願の、魔法の杖を手に入れたりもしました。

本人にも家族にもなかなか実感が湧かないのは「しばらく会えなくなる」ということ。

実感がないゆえに山村留学の準備は遅々として進まず、出発前日にようやくバタバタと必要な買い物をして、寮に持っていく荷物を(おもに母ちゃんが)雑に段ボール箱や紙袋に突っ込む始末。

本人は、張り切ってワクワクしているのかというとそうでもなくて、旅立ちの日が近付くにつれて、やや心配なのかな?という様子もありました。

そして出発の当日。出かける準備はぐずぐずとはかどらず、出発時間は予定より遅れぎみに…。そしていよいよ家を出るというときになって「やっぱりサヨナラするのやだ!行きたくない!」と玄関の戸にしがみつくつむちゃん。

いやいやちょっと待て。気持ちはわかるがそれはないよ、向こうでみんなが楽しみに待ってるよ、と父ちゃん母ちゃん。行ってみたらきっと楽しいよ、行ってみようよ、と姉ちゃん。

なだめすかしてなんとか車に乗せたものの、気を紛らわそうとみんなであれこれ話しかけても、ずっとむっつり黙ってる。

なんとか盛り上げようと、つむちゃんが好きなジブリ映画の主題歌のプレイリストや、魔女の宅急便」のサントラをかけてみたりして

淡路島を抜けて四国に入った頃にはようやく少し機嫌が直っていました。

そしとまた山道を延々と登って木頭へ。こんなときにものんきに酒蔵へ寄り道してなかなか出てこない父ちゃんに、母娘3人でプンスカしながら桜の花びら舞う公園でブランコ漕いだり、「なんでこんなところ??」という山奥にある超お洒落なキャンプ場「CAMP PARK KITO」に立ち寄って美味しいランチを食べてひとやすみしたり

そしていよいよ、つむちゃんがこれから暮らすことになる山村留学センター結遊館へ!

はす向かいのグラウンドゴルフ場ではご近所の方々がプレー中。結遊館スタッフのぽんぽんがご近所さんたちにつむちゃんのことを紹介すると、1人のおばあちゃんが「わしらがしっかり可愛がるけん」と力強くおっしゃって、周囲の皆さんも頷く。地域の方々の嬉しそうな様子を見て、あ、なんだかうちの子がものすごく歓迎されてる、と実感したのでした。

そして間もなく、もう一人の留学生のもえちゃんも、ニュージーンドからお父さんと一緒に到着。2月の体験ステイのときにスカイプでお話したことはあるらしいものの、2人の留学生が対面するのは初めて。

この日は山村留学生の取材で徳島新聞の記者さんが来ていたのですが、何を聞かれてもハキハキお話しする積極的なもえちゃんと、そっぽ向いてモジモジしてるつむちゃん。
どちらもマイペースで似たような雰囲気もありつつ、なかなか対照的で面白い。

もえちゃんは、つむちゃんより1つ歳上の6年生。大きなスーツケースを広げたと思ったら、唐突に帽子や髪ゴムを取り出し、楽しそうにニホちゃん(スタッフのほーちゃんの娘、1歳)や、しょうちゃん(結遊館スタッフでニホちゃんの父)のヘアアレンジをはじめたりと、まるで昔からの知り合いで、昔からよく来ている場所のよう。

かたやもう1人の留学生は相棒のパンダ3兄弟を抱えて固い表情。でも結遊館スタッフの皆さんは慣れたもので、ニコニコ朗らかに見守ってくれています。玄関前でみんなで記念撮影したときは、カメラを構えたほーちゃん(実は本業のカメラマンさん)が「あっ、ごめんもう1枚!いまパンダさんが目つむってた!!」とみんなを笑わせ和ませる。

夕方になり、いよいよお別れが近づいてくる。父ちゃん母ちゃん姉ちゃんが帰ろうとすると「一緒に帰る」と半ベソ顔のつむちゃん。「お夕飯の準備手伝う人ー」とぽんぽんに呼ばれてもえちゃんとつむちゃんがキッチンに立った隙になんとかかんとか出発したものの寂しそうな我が子の様子を思い浮かべて、(ほんとにこれでよかったのかな…大丈夫かな…)と胸が痛い。

父ちゃんはいつもと変わらずのほほんとしてたけど、母ちゃんは車の中で涙が止まりませんでしたとさ。(でも、いちばん寂しがっていつまでも泣いてたのは、可愛い妹を愛して愛してやまない姉ちゃんでしたけどね!)

あの日のつむちゃんの顔を思い出すといまだに少し胸がキュッとするのです。

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いつ誰に伝えるのか

母ちゃんです。

振り返ってみれば、12月中旬にはじめて見学に行き、2月の上旬に体験に行って、2月中に決定、4月から留学って、けっこう早いペースだったなと。

もちろんもうちょっと迷って2学期から行くとか、1年かけて検討して6年生から行くとか、そういう選択肢もなかったわけじゃないのです。

でも、6年生は小学校の中でも大事な役割を担ったり、修学旅行など大きな行事もある学年。卒業のタイミングでは地元の学校にいた方が、その後の中学校生活もスムーズかなあと思ったり、もう1人の留学生候補(ニュージーランドから来るもえちゃん)の留学期間が1学期のみの予定だったので、もしつむちゃんが2学期以降に留学する場合は「留学生がつむちゃん1人だけ」になってしまうかもしれない、ということもありました。

そんなわけで親も「行くなら5年生」という思いがあり、バタバタと決定したわけなのですが、

前回も触れたとおり、本人はわりと期限ギリギリまで迷っていました。


山村留学には「区域外通学」といって、住民票を置いていない地域の学校に通える制度を使います。そのためには、住民票のある自治体の教育委員会と、留学先の自治体の教育委員会の許可が必要です。留学希望の届け出を出す期限は2月末。もし行くならそこから転校まで1ヶ月しかないわけで、関係各所と予定を調整して準備をするにはそれじゃちょっと遅い。そんなわけで、いったいいつ誰に山村留学のことを伝えるのか、ということにはけっこう悩みました。

学校には、年が明けて間もない時期に転校の可能性を伝えて、確定したらまた知らせますということにしました。幸い担任は理解のある先生で、子どもが色んな経験をするのは良いことです、とあっさり受け止めてくれたらしい(父ちゃんが電話した)。

習い事関係も先々の予定が入ってくるので早めに少しずつ伝えていきました。スイミングは、ある程度泳げるようになって本人も満足していたので1月末に退会。百人一首は2月までは大会があったので続けていましたが、本人の気持ちが離れてしまったのかだんだん足が遠のいていきました。ダンスは、当面の間は休会扱いにしてもらうことにしました。

本人がいちばん好きで力を入れていた習い事はピアノ。これはできれば中断したくない。結遊館に相談すると、スタッフのゲンバさんの家に使ってない電子ピアノがあるとのことで、寮に運んでもらえることになりました。ピアノの先生は個人経営の教室なので柔軟に対応してくださり、長期休みに帰省した際にレッスンに行って、あとは留学先で個人練習を継続することに。それでも、四月のはじめに予定されていたピアノの発表会に出られるかどうかというタイミングだったこともあり(結局出なかった)、最終的に留学するのかどうか、いったいいつ決断するのかというのは周囲もけっこうハラハラしていたのでした。

両方のおばあちゃんにも早めに伝えたところ、少々心配そうな様子。本人も親もまったく心配していないかというとそうでもないので、無理もない。でも親としては、本人が少しでも興味を持っているならば、行かずにあとで悔やむよりも、とりあえず行ってみた方が(たとえうまくいかなかったとしても)いいんじゃないかなーと思っていました。


話すタイミングといえば、つむちゃん自身は、ごく僅かな友達だけにしか、留学することを伝えていませんでした。私もママ友には伝えていませんでした

これは、2人とも友達が少ないとか、そんなに自分のことを人にあれこれ話すタイプではないとかもありますが、何よりも「話せることが何もない」状態だったのです。

人に話せばあれこれ聞かれることは間違いないのだけど、行く理由はひとつではなく、話して「なるほどー」と納得してもらえる気もしないし、良いことなのかどうか確信もない。もしかしたら、あかんかったー、ってすぐ戻ってくるかもしれないし。

なんとなく「これがいい」という直感があるけど、実際のところはどうなるかわからない。でも、山村留学に限らず、たとえば進学とか就職とか結婚とか転職とか引っ越しとか、人生で何か大きいことを決めるときって、本当のところはみんなそんな感じではないでしょうか。


つむちゃんが留学した後に、私は「子どもが山村留学している」と人に話すようになりました。するとたまに「もとの学校は、留学することを許してくれたんだね」とか「習い事の先生も理解してくれたんだね」という声が返ってくることがあります。そこでふと「あれ、誰にも事前に相談してないぞ」と気づいた母ちゃん。家族の中では相談したけど、当人が行くと決めたらあとは周囲には「行くことになりました」と伝えただけだなあ…。

周囲とちがう選択をする時って、普通は学校とかいろんな人と相談して徐々に周りの納得感を固めていく感じなのかな?そこで反対されたらやめようかと迷ったりするのかな?受け入れてもらえるまで説得したりするのかな?

私も夫も普段からあんまり周りに相談せず、自分のことは自分でちゃっちゃと決断してしまうタイプなのですが、もしかしたらけっこう周りの人を戸惑わせたりしているんだろうかと今更ながら振り返ったりしたのでした。


4年生の修了式の日、つむちゃんは「山村留学のことをクラスのみんなに伝えるかどうか」担任の先生から聞かれたようですが、本人はNOと答え、普通にクラス最後の日を過ごして帰ってきました。少し前の時期から、日々コツコツとクラス全員分の折り紙を折っていたので、てっきり挨拶して1人ひとりにお別れのプレゼントをするのかと思っていたら、どうやら「ご自由にどうぞ」とロッカーの上に置いただけだったらしい…(そして意外とみんな持って行ってくれたらしい)。

春休み中にひっそり転校し、新学期のクラス名簿にはつむちゃんの名前はありませんでした。つむちゃんが転校したことに気付いてない同級生も、まだまだいるんじゃないかと思います。

 

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