親子が離れて暮らすということ
母ちゃんです。
山村留学を決めるにあたって、たぶん、本人的にいちばん心配だったのは「家族と離れて暮らすのは寂しいんじゃないか」ということだと思います。
家族大好きなつむちゃん、とくに母ちゃんとは一心同体みたいなところがあって、赤ちゃんのころからぺったりくっついて育ってきて、わりと日常的にラブ全開アピールしてくれていました。その反面、些細なことでしょっちゅう母娘バトルが勃発。お互いに辛うじて手までは出さないものの、ちょっとここには書けないような暴言が飛び交うことも少なくありませんでした。
私自身も、「可愛い可愛い大好きだああああー」という瞬間と、「ああもうしんどいめんどくさいいやだー」という瞬間とを、けっこうな振れ幅で行ったり来たりしていて、感情がなかなか忙しい。
そもそもなんでしょっちゅうバトっていたかというと、なかなか宿題やらないとかお手伝いしてほしいときにしてくれないとか部屋を散らかすとか、「母ちゃんが〇〇してくれなきゃヤダ!」とか、子どものいる家庭では超あるあるなあれこれなのですが、
結局のところ、そんなのは親の側にも時間や心の余裕があればなんてことないんだろうな、と。
ちゃんと子どもの要求に応えてやれよ、子どもの目線に立ってじっくり言い分を聞いてやれよ母ちゃん。と、今の私なら思うわけですが、
1年前の現実は、仕事やら家事やらなんやらでくたびれて、そうそう子どものペースには合わせずあれこれ小言ばかりの母ちゃん。そして決して母ちゃんの都合のいいようには動かない娘。そのうちキレる母ちゃん→バトル
の無限ループ。
これはね、ちょっと環境を変えて、お互い距離をおいてのんびりしてみるのもありなんじゃないかな?
とはいっても、通常営業のときはわりと相思相愛な2人。ほんとに離れてやっていけるのか。
でも母ちゃんは知ってた、つむちゃんの環境適応能力がけっこう高いことを。私の仕事の都合やなんやで、小さい頃に何度かおばあちゃんの家に預けたこともあったけど、行く前はヤダヤダ言うわりに、行けばチヤホヤされてごきげんで、1人でもちゃんとおりこうに寝てた。
誰も知り合いがいない状態でスイミングスクールに通い始めたときも、ダンスチームのクラスが変わったときも、すぐに馴染んで子ども同士仲良くなってた。
そして家族みんなといるときと比べて、母ちゃんが出張で不在の日は割合しゃんとして、自分のやるべきことをできてるらしいということも。
保育園に行ってたときは、担任の先生と毎日顔を合わせるし、送り迎えのときに他の子の親と立ち話する機会もあったりして、他の人の目を通した我が子の話を聞くことも、他の子の中にいる我が子の姿を見ることも多かったのですが、小学校に上がるとそういう機会がぐっと減ってしまいまいます。そして家の中で「親子として」向き合ってばかりでは見えなくなってしまう子どもの一面もたくさんあると思います。
いま留学先でつむちゃんがいろんな人とかかわることで、これまで忙しい生活の中でつい埋もれさせてしまっていたつむちゃんの「いいところ」をたくさん引き出してもらっているなあ、と感じます。会えばいつもの我が子なんだけど、離れてみて、第三者の視点を通して発見できる子どもの「いいところ」や「らしさ」は必ずある。
子育てにかかわってくれる「第三者」の存在は、ほんとにありがたいです。
さて、12月に見学に行って以来、わりと「山村留学に行くモード」になってたつむちゃんですが、最終的にあっさり決断したかというと、回答期限の2月末ギリギリまで迷ってました。
山村留学には興味がある。でもやっぱり、家族と離れるのは寂しいらしい。
私と夫が「迷うなら、1学期だけお試しでも行ってみたら?」と背中を押していたのもまあそうなんですけど、
最終的に「行く」と自分で決めた、その気持ちの向こうには何があったのか。
本人に聞いたわけじゃないので影響があったのかどうかはわかりませんが、つむちゃんが好んで読んでいた物語の主人公は、わりとみんな若くして親と離れて暮らしています。
「魔女の宅急便」のキキは、一人前の魔法使いになるために13歳で旅に出た。
ハリー・ポッターは、11歳で育ての親の家を離れてホグワーツ魔法学校での寮生活をはじめた。
竜巻に飛ばされて不思議な国を旅する「オズの魔法使い」のドロシーも、たぶんつむちゃんくらいの子どもだった。
私も子どもの頃愛読していた「長靴下のピッピ」。世界一つよい女の子ピッピは9歳で、身の回りのことはすべて自分でこなし、立派に一人暮らしをしてた。
子どもの頃、親と離れて暮らす子どもが主人公の物語を読んだりアニメを見たりして、主人公に自分を投影したり、夜ふとんの中で「子どもだけの生活」を想像してちょっとワクワクしたことはありませんか?私はあります。
つむちゃんが山村留学に「行く」と決めたということは、不安にワクワクが勝ったのかな。
そういえば、山村留学に行く前につむちゃんは「(大好きなつむちゃんと離れたら)母ちゃん寂しくて弱っちゃうんじゃない?」と心配してくれていました。
私は内心、(ちょっと寂しいかもしれないけど、自由な時間が増えるぞ♪)と思っていたので「大丈夫!」と答えていたのですが「本当に?本当に大丈夫??弱って病気になったりしたら絶対にダメだからね!」と念を押す娘。
その時は、ほんとは自分が寂しいくせにー、母ちゃんを甘く見んなよー。と思っていたのですが、いや、やっぱり甘いのは母ちゃんの方でした。
つむちゃんが木頭に行った後は、想像してた以上に、寂しかった。
つい1日に何度も結遊館のfacebookページをチェック。
そこには、どんどん留学先での生活に馴染んで、楽しそうにしている我が子の姿が。
最初は週に2回も来ていたお手紙の間隔もだんだん伸びていき…。
いつもつむちゃんが小学校から帰ってきていた夕方4時を過ぎても毎日しーんとしている我が家。
ああ…、仕事がはかどるなあ。(注. 母ちゃんは在宅ワーカーです)
日が暮れて、お姉ちゃんが中学校から帰ってくる。
「ただいまー!あれー?つむちゃんはー?つむちゃんどこー?」
(↑お姉ちゃん定番のボケ。毎日やってた。)
家に残った家族は、やっぱりちょっと寂しいのです。
迷ったこと迷わなかったこと
母です。
正直な話、見学に行ってみるまでは「
木頭のことも、結遊館のことも、
たとえば、四季の恵みを大事にする、
子供が山村留学をしていると人に話すと「すごい決断をしたね」「
本人が行きたいと思うのであれば、
ひとつは、つむちゃんの生活が忙しすぎたことです。
月曜日は百人一首、火曜日だけが放課後友達と遊べる日で、
週末も、歯の矯正のために歯医者に通ったり、
周りの子も毎日のように習い事や塾に行って忙しいので、
私自身も、
でも何よりも、小学4年生がこんなに忙しくていいのか。
もうひとつは、学校のことです。
人間関係が固定されないのは良い面もあるけど、
つむちゃんはあまり女子グループの人間関係が得意ではなく、
子どもの人数が多いと、クラス委員など、
スーパーマイペースで決して社交的ではなく、
大人はつい、「まあ、世の中そんなもんよね」「
そしてもうひとつは、家族との関係のことです。つむちゃんは、
「そのわりに長子よりぞんざいに扱われる(
家でのつむちゃんは、ときに散らかし魔でぐうたらなのび太で、
でも外では小さい子や友達に優しかったり、
もちろん、ほとんどのことは、
続く
おららの炭小屋 初窯
父ちゃんです。
2019年2月10日
山里ステイの翌日、炭焼き小屋の「初窯」があるというのでお邪魔しました。
かつて山の暮らしに欠かせないものだった炭焼きの技術を絶やさないよう地域の炭窯を造ろうという想いで設立されたという場所、木頭北川の「おららの炭小屋」。
今年初めて火を入れるということで地域の人たちが大勢集まっていました。
うん、まあ、そう言われても実際自分らの生活では木炭ってバーベキューの時にホームセンターで買うくらいで、正直そんなに身近でもないもの。
地域あげてこの炭窯を大切に管理している理由が最初はよくわかっていなかったのですが、色々話を聞いたり本を読んだり、山の暮らしの今昔を知るにつれ見えてくるものがありました。
「日本昔ばなし」など、日本人の標準的なイメージとしてある「昔の暮らし」って稲作が中心で成り立っていた「平地」の暮らし。
それに対して木頭のような険しい山間部の暮らしは、田んぼも少しはあったけれど広い土地が無いので山で焼畑して雑穀を育てたり狩猟をしたり木の皮の繊維で衣服を作ったりと、より山の恵みに近い暮らしをしていたそうです。
そんな中で塩など、どうしても地域外からしか得られない物資を購入するための換金商品として山の木材とともに木炭は大事な産業であったといいます。
今の暮らしからは想像するのが難しいですが、石油やガスや電気の無かった時代の燃料と言えば炭が主流だった訳で、考えてみたらわかるのですが人口の多い平地の裏山で必要なだけを賄い切れる訳などなく、木材の豊富な山村での炭焼きには大きな需要があったということです。
もちろん、知っての通り近代に至って急速に木炭の必要性は失われてゆくのですが、この山深い土地では比較的最近まで(今もある程度)木炭が生活の中にあったということで、今のお年寄りの世代にはその強い記憶が残っているということ。
「木の種類によって燃え方が違う」など十を超える種類の木の見本を前に聞くと、この知識を継承することの大切さを実感します。
火を使いたかったらガスや灯油があるし、炭が必要ならホームセンターに買いに行けば良い世の中ですが、すぐ近くにある山の資源を無視するのは果たして合理的なのだろうか?などと考えてしまいます。
一般的には時間や手間がかかることは非合理だと言われていますが、どこか遠い国から運ばれてきた燃料をお金と交換して得ることと、手はかかるけれど地域の中で調達できるエネルギー源を使うこと、どちらが「合理的」なのか?比較する目線を変えてみると今まである種の思い込みにとらわれていたことに気づきます。
そういう資源を山から得る術も継続しないと失われてゆく訳で、こういう炭小屋があることの価値というのは思った以上に大きいのだなと、二度目の訪問にして気付かされたのでした。
と、まあ、山村留学と離れたようなことを長く書いてしまいましたが、こんな話にもここにある「異文化」を印象づけられたのです。
都会と山村、漠然と人が多いか少ないか程度に考えていたのですが、元々が全然違う生活観を持っていたのだなあ、と。
そう考えるとここで学べるものは「自然の中の田舎暮らし」という程度に収まるものではなく想像以上に大きいのかもしれない、下手に外国行くよりも大きな体験ができるのいかもしれない、そう思うようになりました。
さて、「初窯」。
どのような行事か全然知らずに誘われるままに来ただけだったのですが、人形浄瑠璃の「木偶舎」さんもはるばる来てくれて祝いの演目を行ってくれたり、ちょっとしたお祭りでした。
ああ、よそ者なのにこんな地域の大切な行事に紛れ込ませてもらえて貴重な体験ですわなあ、とか思っていたら「あんた音楽やってるんだったら何か一緒にやれ」と、よくわからないまま自分も参加することに。
全くもって、人形浄瑠璃なんて異文化どころの話でないくらい門外漢な訳だし、そもそも音楽に関しても果たして門内に入れてもらえてるのかどうか定かでない怪しげな漢である自分になにができようか。
ここで下手をこいて今後長い付き合いになるかも知れぬ木頭の方々に「何だあの腑抜けは」と悪印象を与えてしまったら、恐らくこの地での扱いは自分より頻繁に現れる猿や鹿以下が確定なのです。
そんな瀬戸際にいきなり立たされてしまった訳ですが、幸いにも演目の出来を左右するような役割は与えられず、「大体こんな感じだから適当にやって」と軽い打ち合わせ程度で太鼓叩いて囃子で参加。
「適当に」と言われるのは非常に有り難い話で、何せ元々適当にやる以外のことができない人間なので、それなら任せなさいと全力で適当に、ニコニコやっていたら、罵倒されたり石投げられたりすることもなく、拍手など頂いたので自分としては良くやった方かと、猿はともかく鹿程度の地位程度は確保できたのかなどと安心しております。
思いがけず地域の人たち多くとお話する機会ももらえて貴重な機会でした。
偶然にもこの日帰ってバーベキューの誘いを受けていたので木頭の炭をどかっと購入して帰宅。
長く燃える良質な木炭で牡蠣を焼き、徳島の酒を飲んだのでした。
山里ステイ 黒滝トレッキング
父ちゃんです。
12月に木頭を案内してもらってから、つむちゃんは家で「4月からは木頭だからね~」と山村留学する前提で色々話をするようになりました。
父としては「行け行けぇー」と思う反面「そんなに簡単に決めて大丈夫かいな?」と気にもなってましたが、夢が膨らんでいるようなので深くは突っ込まないようそっとしていました。
山村留学申し込みの期限は2月末で、その前、2月上旬に山村留学センター結遊館企画の「山里ステイ」という行事があり、木頭の環境を体験しつつスタッフさんや木頭の人たちと一緒に過ごす機会があるということで参加してきました。
都合により今回は父とつむちゃんの二人。
イヴェントのタイトルは「黒滝トレッキング」。
厳寒期に氷結するという黒滝(「くろたび」と読むそう)を歩いて見に行こう、夜は星空を見ながらうどんを食べよう、という企画。
はいはい、滝ね、子どもが行けるようなとこやったら遊歩道みたいなの歩いてちゃちゃっと行くんやね、と思っておりましたが、ちょっと違う。
「現地では積雪した山道を歩けるような靴を用意してください」
「標高1000mを超えるので防寒対策は万全にお願いします」
黒滝は林道終点から1時間半ほど、道は踏み跡程度しかなかったところを今回ある程度整備したそうで、四国とは言え剣山系の深い山の奥なので積雪は当たり前。
夜の「星空うどん」は綺麗な星を見るために集落から遠く離れた林道の標高1000mの峠まで行くと言うのでマイナス10℃くらいは想定しておかないといけないか。
まあ、うちの場合は「そういうの」に慣れていて、雪山登山もここ数年行ってるから装備はあったものの、街に住んでる普通の人にとっては「ちょっと山の学校の暮らしを体験」という域を超えてしまってるのではないか、やばいっすね。
これは「山の暮らしの厳しさ」を知らしめるためにわざとハードルを上げているのでは、などとも邪推してしまうところ、結遊館玄番さんののほほんとした口調からして、どうも「このくらい普通」と思っているように見えます。
そう、このくらいが普通の環境なのです。
後になって改めて思うのですが「普通」の感覚は土地土地で違うわけで、この「普通」の中で過ごせるというのは何とも素敵なことなんじゃないかな、なんて面白い場所だ、と自分などは思う訳です。
まあその辺は人それぞれで、そんな過酷な環境とんでもないと思う人もいれば、体験自体は良いけれど街とは違うということをもっと意識付けするべきだと考える人もいるかもしれません。
ただ、当の子どもたちは大人の余計な心配をひょいっと飛び越えて未知の世界に入り込んでいったりするもので、現に娘も他の参加者の子どもたちと一緒に山道を駆けて集団の先頭で見えなくなるくらい先々に進んでいくのでした。
当日は午前中雨が降って出発が遅れたものの、今年は暖冬で積雪なく至って歩きやすいコンディションでした。
元来、滝があることは知られていたものの整備された道が無くパンフレット等にも載らない存在だったところを、木頭の地域おこし協力隊の方の尽力で法面を補強したり危険個所に梯子をかけ案内板を立てたりと、環境を整えて頂いていたおかげでかなり歩きやすくなっていました。
参加者総勢20人くらい?山村留学センター結遊館のスタッフさんと我々子連れの参加者2家族の他に地域おこし協力隊や移住希望の方、地元のお年寄りの方々など本当に多様なメンバー。
結遊館の玄番さんは20年以上前の関西からの移住者、協力隊の方々はここ数年の移住者、移住検討中で何度かしか来たことのない参加者と、人生のほとんどをこの土地で過ごしたお年寄りの方々、一つの層に固まらず様々な立場の人たちが一同に会して目的地に向かうという、この懐の深さに木頭という小さなコミュニティの他にない良さを感じます。
どうやらこの企画のために集落から広い世代の人たちが集まって、協力して準備を進めてくれていたようで、歩きながら色々な人たちの話が聞けたのも楽しいことでした。
子連れの参加者は一家族、大阪からの小6男子と小1女子のきょうだいとお父さん。
子ども同士はすぐに仲良くなるので滝までの往復の時間に色々遊びを考えながらずっと一緒にいました。
残念ながら気温が下がらなかったので凍った滝は見られなかったのですが、黒滝は高さ45mを真っ直ぐに落ちる壮大な滝でなかなかの見ごたえ。
こんな滝が地図にも載っていないなんて、これも僻地ゆえなのか。
絶景は行くとこ行ったら普通にある景色だということ、ただここに至るまでが都市からの視点では険し過ぎるから紹介しづらいだけなのか、それはこの奥那賀の至る所にある名もなき渓流や美しい山を見ても思いました。
夜の「星空うどん」は結局天気が回復しなかったため公民館屋内で。
でも一瞬の雲の切れ目から宇宙ステーションが横切る光を見ることができて大歓声。
そして何よりも猪肉の煮込みうどんの美味しいこと!
山の幸が沢山入ったうどんの味は忘れられません。
この一日の諸々は山村留学センター結遊館が子どもたちに木頭の生活を体験してもらうために企画されたもの。
ですが実際行って見れば集落の様々な立場の人たちが関わって、何ヶ月も前からそれぞれの得意分野を活かして「この土地でしかできない体験」のために準備してくれていたことがわかります。
実際子どもも大人も感動と驚きある体験を沢山しましたし、この大勢の人たちとの関わり自体が素敵な体験でした。
山村留学のきっかけ(母の視点)
父ちゃん母ちゃんそれぞれ別々、同じお題で書いてしまっていました。
起こったことが同じでも、見方がそれぞれ違って面白いかと思うので両方掲載します。
「山村留学のきっかけ(父の視点)」はこちら。
母です。
山村留学のほんとの最初の最初のきっかけは、私と2人でいるとき
彼女が2歳まで住んでいたのは東京23区の端っこの、便利だけど
「ここもまあまあ田舎だよ」と私が言うと「そういうんじゃないの
とはいえ、一生住むつもりでほんの4年前に新築したばかりの我が
そんな出来事をなんの気なく夫に話したところ、ある日彼が「田舎
小さい頃から家族で山に登ったりして自然には親しんでいたものの
夫が根っからの僻地好きで、家族旅行でいつも僻地にばかり連れ
旅行の当日(12月)、どこまで連れて行かれるのかよくわからな
休日のため中には入れませんでしたが、入り口からのぞくと、内装
その後、さらに山道を車で登って、「おららの炭小屋」や、山村留
「見にいくだけ」だったはずが、「かなり面白そう」「行って見た
山村留学のきっかけ(父の視点)
父ちゃん母ちゃんそれぞれ別々、同じお題で書いてしまっていました。
起こったことが同じでも、見方がそれぞれ違って面白いかと思うので両方掲載します。
「山村留学のきっかけ(母の視点)」はこちら。
父ちゃんです
つむちゃんが「いなか暮らししたいなあ」と言い始めたそもそものきっかけが何だったのか、本当のところいまだよくわかっていません。
本が好きで、その頃(今もだけど)よく読んでいた魔法使いの物語の舞台がいわゆる「田舎」だからかな?というのは妻の推測。
彼女は思いついたことをすぐに口に出さず、想いを練りに練ってから外に出すところがあるので、9歳の子どもの頭の中で、大人が気付かないような小さなきっかけから膨らんできた何か大きなものがあったのかもしれません。
「いなか暮らし」と聞いて頭に浮かんだのは「移住」という言葉で、旅好きゆえに興味はあったものの、明石で店やってるし、長女は高校受験、父親が体調悪くしていたという事情もあり、現実的なものではありませんでした。
同時期、どっちが先だったか覚えていないけれど、四国の山奥を自転車旅する機会がありました。
それは、地図の細い谷の奥の奥の平地もほとんど無いような険しい土地に数軒だけの集落がぽつんとあるのを見つけて「ここにどんな暮らしがあるのだろう?」と気になったところから始まった旅。
ほぼ無住の地となってしまったその高知県の伊尾木川をさかのぼる行程は日本の果ての果ての姿を見た思いで衝撃的だったのですが、書き始めると長くなります、これまた別の機会にじっくり。
その高知県側の深い深い山に分け入って険しい峠を越えて、徳島県に抜けた先の木頭という村の光景が、同じく高い山々に囲まれていながら少しばかりの土地に田畑があり、穏やかな暮らしの場を見て何だか桃源郷に辿りついたような思いで、こちらもまた印象に残っていました。
元々木頭の隣の木沢には新婚旅行で来ていたし(そのころから山村好きだった訳で)、前の年にキャンプしに来たりと、少しは知った土地だったのだけど、この旧木頭村の方には来たことがなかったので、それ以来気になってネットであれこれ調べているうちに、山村留学センター結遊館の情報に行きあたったのでした。
家族全員で引っ越ししなくても子どもだけ田舎暮らしを体験できる、親としてもその素敵な土地との関わりができる、面白そうじゃないか、と。
正直つむちゃんのイメージしている「田舎暮らし」と重なるものがあるのかどうかわからなかったし、何より、母ちゃんべったり甘えんぼで知らないことに対して慎重な彼女が親元離れて1年暮らすなんて想像できなかったのですが、何か興味を持つものがあるかもしれないと、木頭に連れ出したのが4年生の12月。
結遊館のスタッフさんには「興味があるので見学だけでも」ということで案内をお願いしていました。
木頭に向かう道中で、つむちゃんに「お前田舎暮らししたいって言ってたやん、今から行く先の村で1年間暮らしてみるってどう?父ちゃん母ちゃんと別々で、離れて暮らすことになるけど」と聞くと、「やだ!絶対やらない!」
やっぱりねー。
「まあ、ちょっと話聞くだけでも聞いてみようや~」と待ち合わせ場所へ。
結遊館の玄番さん(通称たーたん)に学校~図書館~寮のある北川集落と案内してもらいました。
実は子ども達は最初の学校に行ったところから大はしゃぎ。
住宅地にある無機的なコンクリート造りの地元の学校と違って、高台から自分が桃源郷と感じた村を見下ろすロケーションに地元木材をふんだんに使った温かみのある校内の雰囲気に「すごーい!こんな学校行ってみたい!」と一目ぼれ。
小さな村なのに本が揃っている図書館も、読書好きのつむちゃんには魅力的だっただろうし、結遊館の寮の建物も手造りの遊び道具があったり、楽しげに川遊びする写真があったり。
大人の目からは学校関係だけでなく、木の皮から繊維を取り出して衣服を作る昔からの織物(太布織)の復活を試みていたり、これまた昔の山の産業であった炭焼き小屋を集落で運営していたり、畑の石積みの修復を集落の若い衆が集まって行っている場に行き当たったり、山奥の暮らしに代々受け継がれてきたものを大切にいている姿に感銘を受けました。
木頭を離れて宿に向かう道で「つんちゃん、ちょっと山の学校行ってみたいなあ」と言うようになっていました。
その時はまだ余り深く掘り下げずに「また2月の体験会に行ってみて考えようか」と返したのですが、始まりはここからでした。
はじめに
小学5年生の次女「つむちゃん」が2019年4月より、兵庫県明石市の自宅を離れて徳島県那賀町の木頭小学校に山村留学しています。
山村留学について簡単に説明すると、生徒数が少ない僻地の学校に他の地域から期間限定で「転校」する制度です。
子どもの少ない学校にとっては一人でも増えることによって賑わいが生まれ、学校自体の維持にも効果的で、「留学」する子どもにとっては街の環境と全く違う世界を体験できるというのがメリットと言えます。
余り広く知られているとは言えないかもしれませんが、過疎という言葉が社会問題になりつつあった昭和の終わり頃から各地で始まっています。
制度の形はその学校ごとそれぞれで、里親形式で地元の家庭にホームステイする場合もあれば、宿舎を提供して親子で暮らしてもらう場合もあります。
木頭小学校の場合は家庭に入るのでなく、寮となる山村留学センターがあって、管理人さんに身の回りのことを世話してもらう形になっています。
それぞれのやり方に一長一短あるのでしょうが、木頭の山村留学センター「結遊館」は子どもたちの主体性を尊重しつつ、山里ならではの体験ができるよう考えてくれて、こどもたちにとって非常に充実した日々を送れているように見えます。
子どもからも「行って良かった」という声を聞きますし、親の目からも向こうで楽しんでいることがよく伝わってくるので、現時点では行かせて良かったと思っています。
そして親である自分も、木頭での色々な行事を楽しんでいますし、山の暮らしという未知の世界に触れることで刺激の多い体験をさせてもらっています。
ということで、こんなに面白い制度をもっと多くの人に知ってもらいたいと思ってブログを始めてみました。
木頭での日々、結遊館での活動については結遊館のFacebookページでレポートされているので、自分の方からは親の目から見た子どもの変化や、街の目から見た山里の暮らしなど、印象に残ったことを書いてゆこうかと思います。