山里のまど

2019年4月より次女が親元離れて徳島の山奥で山村留学をしています。山村留学のことや山の暮らしについて書いてゆきます。

行くところ、帰るところ

さて、だいぶ時間が空いてしまいましたが、母ちゃんです。

前回の投稿を結遊館Facebookで紹介していただいたとき結遊館にやってきた日のつむちゃんの様子が書かれていて、ああ、やっぱり。と思ったのでした

寂しかったんだよね、最初は。

はじめの頃は週に2回もお手紙が来ていた、と前にも書きましたが、しばらくの間は、毎回お手紙に「早くお家に帰りたいよ」と書かれていました。

もともとお家が大好きなつむちゃん。

「早くお家に帰りたい」は小さい頃からの口癖で、買い物で街に出た時も、大きなショッピングセンターに行ったときも、家族で旅行に行ったときも、大抵はそんなに時間が経たないうちからご機嫌ナナメで、ことあるごとに「早くお家に帰りたい」を繰り返していたのでした。

そんなつむちゃんが、しばらくお家に帰らない旅に出た。こりゃ大変だ。

はじめの頃はあんまり食欲がなくて給食もぜんぶ食べられないとお手紙に書かれていて、ただでさえ少食で痩せっぽちなのに大丈夫か…と心配していた(周囲からも心配されていた)のですが、やがて、もう1人の留学生のもえちゃんと競うようにご飯をお代わりするようになったと聞いてひと安心。

Facebookでちらりと見る結遊館のご飯にはご近所さんからのおすそ分けの山の幸が様々登場してとっても美味しそうだし、つむちゃんからのお手紙には学校の給食がすごく美味しいと書いてある。羨ましい。

そして1ヶ月も経たないうちに10連休がやってきて、つむちゃん念願の帰省。

帰ってきたときは、照れくさいのか、嬉しさは顔に出さずクールに振る舞っておりました。

連休は、母ちゃんと好きなバンドのライブに行ったり、父ちゃんの学生時代の仲間たち家族と恒例のキャンプに行ったり、ピアノのレッスンに行ったり買い物に行ったり、おじいちゃんおばあちゃんと従兄弟たちと集まったり、予定がいっぱい。

大好きなお家でのんびりする暇があんまりないまま再び出発の日を迎え、少々不満な様子。

連休最後の日、家族で木頭まで車で送って行き、「あき兄」の畑でサツマイモの苗植えを体験させていただき、そこには学校の友達も何人か集まっていて遊び始めました。

そうこうするうちにまたサヨナラの時間がやってきて、つむちゃんはまた「一緒に車で帰る」と言うけど、友達の手前、メソメソしている場合でもありません。

名残惜しそうで、時間はかかったけどもういちどサヨナラしました。

その後、お手紙に「早くお家に帰りたい」という文字を見なくなったのはいつ頃からだったのか。

時間は飛んで夏休みの終わり。

あるときつむちゃんが「そろそろ結遊館に帰る用意をしなきゃ」とつぶやいた。

そうか、帰るところになったんだね。

そうだよね、毎日学校に行って、結遊館に帰ってたんだものね、と私が言うと「そうだよ。明石のお家も、木頭も、どっちも『帰る』ところだよ」とつむちゃん。

つむちゃんの父ちゃんは時々、うちから4kmほどの距離にある実家に「帰る」。

母ちゃんも年に数回、千葉の実家に「帰る」。

姉ちゃんにとっては、生まれてから小学校に上がる前まで住んでいた東京がふるさとで、たまに行くと「東京に帰ってきた!」と言う。

家族の中でつむちゃんだけは、自分のお家以外には「帰る」場所がなかった。

でも、つむちゃんにもできたんだな、もうひとつのふるさとが。

長い夏休みの間、そんなに遠出することもなく、ほとんどの日をお家で過ごしたつむちゃんは、木頭での出来事を色々話してくれました。

つむちゃんがとくにたくさん話してくれたのは木頭にいる小さい妹のような存在、ニホちゃんのこと。

結遊館での日々の話を聞いて、ああ、すっかりもうひとつの家族みたいだなあと、嬉しく思ったのでした。

夏休み最後の日、つむちゃんは元気に「ただいまー!」と言いながら、結遊館の裏口をガラガラっと開け、スタッフの方々の「お帰りー!」の声に迎えられました。

そして、そこから、やり残した夏休みの宿題(自由研究を模造紙に清書する)と必死に戦いはじめたこともあって、送ってきた父ちゃん母ちゃんが帰るときには、最初の頃からは想像できないくらいに、さらっとバイバイできたのでした。

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