山里のまど

2019年4月より次女が親元離れて徳島の山奥で山村留学をしています。山村留学のことや山の暮らしについて書いてゆきます。

迷ったこと迷わなかったこと

母です。

正直な話、見学に行ってみるまでは「まーた父ちゃんがなんか突拍子もないこと言いだしたわ」「どうせつむちゃんも行きたいとは言わないでしょ」という感じで、まさかその後本気で山村留学を検討することになるとは思ってもみませんでした。

木頭のことも、結遊館のことも、私はまったく予備知識がありませんでした。帰ってきてから、夫に勧められて、結遊館のWEBサイトFacebookページ、それから、元・おこし協力隊員で今は集落支援員をされているまーちさんが木頭での暮らしを日々綴っている「きっとくらす」を読んでみて、「ああ、私が暮らしや子育ての中で大事にしたいと思っていたこと(そして、実際は思うようにできてはいないこと)が、ここにある」と思うようになりました。

たとえば、四季の恵みを大事にする、昔ながらの知恵を生かして暮らしに必要ないろいろなものを自分の手で作る。「どんどん買って、捨てる」のではない暮らし。あれをしろ、これを買えと時間や広告に追われるのではない暮らし。ひとりひとりの子どもが型にはめられず、地域の人たちと関わりながら伸び伸びと過ごせる場所。共感することばかりでした。

子供が山村留学をしていると人に話すと「すごい決断をしたね」「勇気がいったでしょう」「私には無理だわ、子どもと離れるなんて」というようなことをよく言われます。つむちゃんがどれくらい迷ったか本当のところはわかりませんが、私自身は「いやそこまで迷わなかったんですけど」というのが本音です。

本人が行きたいと思うのであれば、いまの我が家にとって山村留学は良い選択なのではないかな、と思えた理由はいくつかありました。

ひとつは、つむちゃんの生活が忙しすぎたことです。彼女は口数は少なめでシャイな子どもですが、好奇心旺盛で、自分から「やりたい」と色々な習い事を始め、それがどんどん増えていっていました。

月曜日は百人一首、火曜日だけが放課後友達と遊べる日で、水曜日はピアノ、木曜日はスイミング、金曜日はダンス、土日のどちらかでまた百人一首
週末も、歯の矯正のために歯医者に通ったり、発表会前にはピアノの追加レッスンが入ったり、時には百人一首の大会で遠征したり、ダンスチームで地域イベントに出演することもあり。

周りの子も毎日のように習い事や塾に行って忙しいので、彼女自身はその生活に不満も疑問もあまりないようでしたが、どうしても疲れるし、ぼんやり過ごせる時間が少ないし、他にやりたいこと(好きな本を読むとかYouTubeを見るとか)もあるのでなかなか宿題に手がつかなかったり、学校の用意が進まなかったり、朝なかなか起きられなかったり。

私自身も、習い事の時間に間に合うように声をかけたり送迎したり、練習するよう声かけしたり、学校とそれぞれの習い事の予定の管理だったり指導者や保護者同士との連絡だったり、イベントや大会の準備だったり…、もちろん本業の仕事も家事もあり、長女の学校や部活や習い事もある中で、忙しいな、いっぱいいっぱいだな、と思うこともありました。

でも何よりも、小学4年生がこんなに忙しくていいのか。いつも予定が詰まっていて、思うままにやりたいことをやったり、ぼーっとしたりする時間があんまりないのはどうなんだと。山村留学の話が出てきたとき、今の忙しい生活を一回リセットしてゆっくりしてみるのもいいんじゃないかと思いました。

もうひとつは、学校のことです。つむちゃんが通っていたのは街のマンモス校で、1学年200人以上いて、毎年クラス替えでメンバーが変わります。

人間関係が固定されないのは良い面もあるけど、毎年クラスの中で新しく関係を築かなければならないということでもあります。女子はだいたいいくつかのグループに固まって、クラスの中にはなんとなーくグループの序列がある。

つむちゃんはあまり女子グループの人間関係が得意ではなく、どこのグループにも属していない感じでした。休み時間は、はみだしている子同士で仲良くしたり一人で過ごしたりしていて、それ自体はべつに苦ではなかったようなのですが(私自身もそんなタイプの子どもだったので別に心配してはいなかったのですが)、ひとつだけ問題がありました。

子どもの人数が多いと、クラス委員など、いろんな役割の競争率が高く、希望者が多いときはだいたい投票になります。そしてそれは実質「人気投票」になりがちのようでした。積極的で声が大きかったり、面倒見がよかったりして友達の多い子に票が集まります。

スーパーマイペースで決して社交的ではなく、勉強はそこそこできるけど優等生ではなく(宿題忘れや忘れ物が多い)、でも好奇心は旺盛で色々チャレンジしたいつむちゃん、残念ながらクラスの中ではあまり人望がないようで、やりたいと手を挙げてもいつも投票で負けてしまいます。それが本人はとても不満な様子でした。

大人はつい、「まあ、世の中そんなもんよね」「人望を高めたいなら努力しないと」という感想を持ってしまうのですが、子どもにとって、常に競争に晒される環境が当たり前で健全なのかというと、本当はちがうんじゃないかという気もします。似た者同士のグループの中で空気を読んでうまく立ち回れる子が多数派の世界なら、そうでない子は浮いてしまいますが、人数が少なくてみんなバラバラの個性をもっていたら多数派も何もありません。子どもの人数が少なければ、友達を選べない分、競争が少ない分、いわゆるスクールカーストとはちがった人間関係があるのではないか。一人ひとりの個性に合わせた活躍の場があるのではないか。親としては山村留学にそんな期待もありました

そしてもうひとつは、家族との関係のことです。つむちゃんは、いわゆる末っ子です。きょうだいで何番目に生まれるかで、家庭内でなんとなーくキャラクターや役割ができてしまうのは私自身が末子なのでよくわかるのですが、たとえば「家族の中でマスコット的扱い、可愛い可愛いと言われてみんなに愛されて育つ」「何を言っても何をしても面白がられる」「ワガママを言っても、しょうがないなあ(または、めんどくさいなあ)と、許されてしまう」
「そのわりに長子よりぞんざいに扱われる(持ち物や服がお古ばかり、学校生活や健康に関して親のケアが抜けがち、ちょっとやそっとのことでは心配されない)」などなど。

家でのつむちゃんは、ときに散らかし魔でぐうたらなのび太で、ときにワガママ暴君なジャイアンで、母ちゃんべったりの甘えんぼ、というキャラが定着していました。

でも外では小さい子や友達に優しかったり、授業ではちゃんと自分の意見を発表したり、まあまあしっかりしていることを知っています。やりたくないことをやらされるのは嫌いだけど、自分の興味を持ったことにはものすごい根気と集中力を発揮して取り組むことを知っています。思春期の入り口に差し掛かって少しづつ自我が育ち、依存と自立の間を行ったり来たりしながら、「成長したい」「変わりたい」という本人の意思もぼんやり感じていました。だから家族以外の人と密な人間関係を築くことで、「母ちゃんがいなくても大丈夫」「自分はどこでもちゃんとやっていける」という自信をつけられたらいいんじゃないかな、と思ったのです。

もちろん、ほとんどのことは、実際に行ってみないとわかりません。うまく人間関係が築けず挫折の経験になるかもしれない。家族から離れて暮らして、もしむこうで辛い思いをしたら、ホームシックになったら、体調が悪くなったら、学校でいじめられたら、ちゃんと面倒見てもらえずにほったらかされたら…。心配すればきりがありません。でも、見学に行ったり、結遊館から発信される情報に触れてみて「きっと大丈夫だろう」と思えたのでした。

続く

 

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